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「鉱石の道」の歴史をたどる

[2016年1月25日]

ID:370

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 生野(朝来市)、神子畑(朝来市)、明延(大屋町)の3鉱山は一体的に事業運営されてきた鉱山で、3地域はこの鉱山産業によってまちが形成されてきた地域です。

鉱山の経過(年表)
慶応4年(1868)6月鉱山技師コワニエ生野鉱山勤務(明治10年1月まで)
明治4年(1871)12月鉱山技師ムーセ(ムーシェ)生野鉱山勤務(明治13年4月まで)
明治4年以後、フランス人技師宿舎1号館、2号館(ムーセ旧居)が建設された。
明治9年生野鉱山寮馬車道が完成した。(生野-姫路飾磨港間49Km)
明治11年11月神子畑鉱山が再発見された。
明治12年神子畑鉱山開坑に着手する。
明治14年神子畑鉱山の本格開坑、開発が始まる
明治19年神子畑-生野間の馬車道建設が始まる。
明治20年神子畑-生野間の馬車道完成、神子畑鋳鉄橋を含む5つの橋が架けられる。
明治20年生野鉱山2号館(ムーセ旧居)が生野から神子畑に移築された。
明治20年神子畑鉱山最盛期3,000人を超す。
明治22年羽渕鋳鉄橋台風のため流出、すぐに修復される。
明治22年神子畑-生野間馬車道にレールが敷設された。
明治29年生野鉱山が宮内省から三菱に払い下げられた。
明治33年三菱により明延鉱山の開発が進められた。
明治40年明延鉱山にて錫が発見された。
明治42年明延鉱山にて本格的に採鉱が始まった。
明治43年明延-神子畑間、山路を牛馬により運搬を開始した。
明治45年明延-神子畑間、空中索道での運搬に替わった。
大正8年神子畑鉱山採鉱を休止した。
大正8年これに替わり神子畑にて錫鉱石の選鉱がスタートした。
大正11年香川県直島に銅精錬所が新設された
大正11年神子畑-生野間の馬車道のうち、羽渕-生野間が廃止され39年間の使命終えた。
大正11年神子畑-羽渕間の馬車道が新井駅まで延長された。
大正11年播但線新井駅からの貨車輸送が始まった。
昭和4年4月明延-神子畑間の隧道(全長6,136Km、トンネル部分3,925M)が完成し、電気軌道による鉱石運搬が始まった。その後、神子畑-新井駅間の馬車軌道は、バッテリー式機関車にとって替わった。
昭和32年鉱石運搬が貨車輸送に替わりトラック輸送となった。
昭和32年神子畑-新井間の鉱山軌道が廃止され74年間の鉱石運搬の使命を終えた。
昭和51年3月31日羽渕鋳鉄橋が県指定文化財となった。
昭和51年神子畑選鉱場が明延鉱業株式会社に移管された。
昭和56年6月27日神子畑鋳鉄橋が国重要文化財(建造物)に指定された。
昭和62年1月30日明延鉱山操業停止、閉山。
昭和62年1月30日神子畑選鉱場操業停止

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