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神子畑鋳鉄橋

[2012年1月25日]

ID:388

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「鉱石の道」の歴史をたどる

 生野(朝来市)、神子畑(朝来市)、明延(大屋町)の3鉱山は一体的に事業運営されてきた鉱山で、3地域はこの鉱山産業によってまちが形成されてきた地域です。

馬車道

神子畑鋳鉄橋

国指定文化財(建造物) 昭和52年6月27日指定 神子畑鋳鉄橋(明治時代)

神子畑鋳鉄橋1
神子畑鋳鉄橋2

所在地:朝来市佐のう※字水田1637番地7先から1645番地3まで
管理団体:朝来市
竣工:明治20年

 明治11年神子畑鉱山が再発見され、明治14年本格開坑以後、その鉱石運搬のために道路が必要となり、神子畑-生野間16.2Km、幅員3.6mの馬車道(鉱山道路)が建設され、多くの橋が架けられた。
 この工事は明治16年に始まり、明治18年まで2年間にわたる総工事費4万円をかけた大工事であったとされる。この馬車道が神子畑川を横切るときに架けられたのが神子畑鋳鉄橋である。
 また、工事すべての設計・施工はともに日本人となっているが、生野鉱山開発にあたったフランス人技師団の技術指導の結果によるところが大きい。
 神子畑-生野間の馬車道には、当時それぞれ構造の異なる5つの橋が架けられていたが、現存するものは、神子畑鋳鉄橋(橋長16mの一連アーチ橋)と羽渕鋳鉄橋(橋長18mの二連アーチ橋)の二つのみであり、ともに美しい洋式橋の姿を残している。
 神子畑鋳鉄橋は日本に現存する鉄橋としては三番目に古いとされるが、一番目の大阪の心斎橋(明治6年)は錬鉄製であり、二番目の東京の弾正橋(明治11年)は錬鋳混用である。したがって本鋳鉄橋は全鋳鉄製の橋としては日本最古の橋となる。
 特に、木橋、石橋から煉瓦へ、さらに鋳鉄、錬鉄、鋼鉄へと発展してきた材質からみた日本橋梁史の流れのなかで神子畑鋳鉄橋は、その過渡期的なものであり鋳鉄橋発展史上最終段階のものとしての意味からも歴史的に価値があり、力学的な美しさを持った大変貴重な文化財としての橋そのものである。
 昭和54年に国県の補助を受けての調査工事、昭和57年9月から昭和58年7月31日まで保存のための解体復元の大修理が行われた。

上流から・山桜と鋳鉄橋

上流から・山桜と鋳鉄橋

下流から

下流から

鋳鉄橋公園

鋳鉄橋公園

神子畑鋳鉄橋
所管・所有所管・所有期間
明治政府工部省 鉱山寮生野鉱山分局明治18年11月まで
同農商務省鉱山寮生野鉱山分局明治18年12月まで
同大蔵省鉱山寮生野鉱山分局明治22年11月まで
同宮内省御料局生野支庁明治29年10月まで
三菱合資会社大正7年4月まで
三菱金属株式会社などが継承平成2年11月まで
三菱マテリアル株式会社現在まで

構造 鋳鉄製一連アーチ橋

アーチ 半径60.0m 幅員3.727m

橋長上流側 15.969m 下流側 15.997m

橋高 3.810m(水面より桁上端まで)

のう

※「佐のう」の「のう」はこの字です。

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