株式会社シルバー生野

2018.08.01 活動報告

江戸時代と現代の銀山坑道に出会える、国の近代化産業遺産。生野銀山

1200年の時を超え、銀山のロマンと歴史が甦る。 

昭和48年、三菱マテリアル社と生野町(朝来市)が出資し、株式会社シルバー生野を設立、昭和49年に観光施設・史跡生野銀山として開業。

生野銀山は、竹田城主が管轄していた鉱山でもあります。織田氏、豊臣氏、徳川氏の直轄鉱山を経て、明治元年に日本初の官営鉱山になり、そのときに明治政府五代友厚の紹介で、フランス人土質家「フランソワ・コワニエ」を雇い入れ、近代的な採掘が始まっています。

そして、明治22年に皇室財産になって、明治29年に三菱合資会社に払い下げられ、以降三菱の経営が始まり、昭和48年に閉山しました。

こうした歴史的な足跡が随所に残る、貴重な国の近代化産業遺産の観光施設となっています。

「実は生野銀山は、全国でも珍しいヒカゲツツジの大群聖地です。季節ごとに見どころのある生野銀山の魅力を伝えていたいですね」と語る代表取締の妹尾高明社長(当時)に、今後の施設運営のポイントをお伺いした。

 

時代のニーズに柔軟に対応する、観光施設を目指す。

観光事業を通じて、地域に貢献していく。それが当社のモットーです。

昭和49年から史跡生野銀山ということで、新たに開業させていただき、地元の支援をいただきながら、この生野のシンボル的な存在にさせていただいております。

そうした周囲の支えに感謝の気持ちを込めて、これからも我々は観光業を通じて、地域に貢献することをモットーにしてやっていきたいと考えております。

私どもの施設の特色は、江戸時代の杭道と現代の杭道を、同時に見ることができることだと思います。特に江戸時代の杭道というのは、ノミと金槌で掘って、坑道をつくって、鉱脈の方に向かっていく。そして鉱脈を見つけたら、鉱脈に沿って鉱石をだしていく。人の苦労や当時の大変さも分かってきますし、それだけ銀というのは貴重だったのだなぁと感じることができるところが生野銀山の強みだと思っています。

 

「それなら、生野に行ってみよう」と思う、観光目的となる、旬な情報を発信したい。

やはり、もっともっと多くの方々に、足を運んでいただけるように頑張っていかなければいけないのですけど、ご支援をいただいている皆さまのお力を借りながら、やっていかなければと思っております。

ひとつは、団体客の方にいかに来ていただけるかといったところがあります。これについては個別に観光業者さんのところへ挨拶に行って、支援のお願いをしながら営業活動を行なっています。ただ、今日行ったからといって、明日増えるわけではないと思いますので、こうした活動を地道にやっていきたいと思っています。

もうひとつは、個人のお客さま対策です。今後は、やはり個人のお客さまが中心となると思います。

そこで、ホームページの新着情報という項目を活用して、生野銀山をぜひとも、見てみたくなるような情報を常に発信していこうという取り組みを行なっています。

五代友厚と生野銀山の関係というものもあるのですけれど、そればかりでなく、たとえば「ノムラモミジが綺麗に咲きました」とか「シスレーのバラがそろそろ開花をむかえますので生野町・そして生野銀山へぜひお立ち寄りください」といった情報発信を心掛けて、それなら行ってみたいなぁという人が1人でも多く来ていただけたらという対策をやっているところです。

 

常に「もしかしたら」という思いで安全対策を実施。

生野銀山に来ていただいたお客さまの安全を確保することが大切だと思っています。

具体的には、AEDを設置し、坑内点検を朝と夕方に毎日実施しています。知らない方が暗いところに入っていくと、ここ大丈夫なのかなと心配される方がもしかしたらいるかもしれません。そんな方にも安心していただけるように朝の開場前と夕方の閉場後に坑内を見て回り、点検しております。また、月に1度なのですが、地元の国家資格保持者に坑内を見ていただくというような形をとって、安全に努めております。

 

地域の宝「生野銀山」を預からせていただき、感謝です。

生野銀山は地域に支えられて、今までやらせてもらっているという面が強いと思うのです。たとえば、毎年4月に開催していただいている「生野銀山へいくろう祭り」や、5月の「金香瀬不動尊大護摩大際」などを地元の皆さまが開催し、生野銀山を支えようと取り組んでいただいております。ほんとうに感謝しているところです。

生野銀山としては、施設内の売店にてできるだけ地元の商品を取り扱うようにして、生野町を中心に地域の紹介などができるとい形にしたいなと取り組んでおります。

 

体温のあるガイドを承継していきたい。

貴重な国の近代産業遺産を次代に引き継いでいくための取り組みとして、大切にしているのはボランティアガイドさんです。ボランティアガイドは当時、生野銀山で働いていた方に立ち上げていただいて、現在まで引き継がれていると聞いております。

やはり、ボランティアガイドさんの説明は、生野銀山の魅力や歴史をお客さまに伝えるために、欠かせないものだと思っています。私もボランティアガイドさんのように説明できるかと言ったら、そう簡単にはできないです。

勉強のためにも、お客さんの後ろについてまわりながら話を聞かせてもらっていますが、人それぞれ説明のノウハウを持っていて、話を聞いたお客さまから「聞いて良かった」とか「もっと生野銀山を宣伝したら」なんて言われたりします。そういう意味でも、ボランティアガイドさんの説明されるノウハウも含めて、将来にわたって、生野銀山の魅力や歴史をどのように伝えていくかが、今後の課題のひとつだと思っているところです。

 

お客さまに「感動」というおもてなしを。

今、観光産業は非常に厳しい業界だなと思っています。それに勝ち抜く体質の強化をしなければいけないと思います。代々、そのようにやってきてはいるのですが、私が思っているのは、生野銀山で働いている皆さんが、それぞれの持ち場でお客さまに感動を与えて「また生野銀山に来たいな」とか「こんな良い所だから友達・知り合いに紹介しよう」とか思えるような「おもてなし体質」をさらに強化ができるように頑張っているとことです。

そして、シルバー生野という会社として大切なのは、やはり、「安全・健康・人」だと思っています。安全・健康なくして企業の存続はありえませんし、人財があって、会社の成長や発展がありますので。「安全・健康・人」で頑張っていきたいと思います。

 

施設の特色・生野銀山の関連施設

【施設の特色】
●ボランティアガイドによる分かりやすい観光案内。
●車イス、ベビーカーでも見学可能なユニバーサル・デザイン。
●ペット連れでの入場可能。

【付帯施設】
レストランマロニエ・銀細工工房マリー・銀山食堂。

【生野銀山の関連施設】
<史跡 佐渡金山>
史跡佐渡金山は、江戸時代に隆盛を極めた割間歩の一鉱区であった宗太夫坑の坑道を利用し、江戸時代の鉱山の様子を再現した観光施設で、江戸時代の坑内作業の様子を知ることができます。
所在地:新潟県佐渡市下相川1305番地
TEL:0259-74-2389

<史跡 尾去沢鉱山>
秋田県北東部はかつて「北鹿地域」と呼ばれた日本最大の鉱山地帯でした。「史跡 尾去沢鉱山」は、この北鹿地域最大の鉱脈型の銅鉱山であった尾去沢鉱山の坑道を一般に開放した観光施設で、プレイランドやレストランも併設されています。
所在地:秋田県鹿六角市尾去沢字獅子沢13‐5
TEL:0186-22-0123

<土肥金山>
土肥金山は、江戸時代に第1期黄金時代を、明治から昭和にかけて第2期黄金時代を迎え、1時期佐渡金山に次ぐ生産量を誇った伊豆最大の金山でした。昭和40年閉山し、現在は観光坑道として公開されております。
所在地:静岡県伊豆市土肥2726
TEL:0558-98-0800

 

企業情報

事業所名:株式会社シルバー生野
代表者名:高山 孝一
設立年:昭和48年2月
住所:兵庫県朝来市生野町小野33‐5
電話番号:079-679-2010
ホームページ:http://www.ikuno-ginzan.co.jp/
保有認証等:■国の近代化産業遺産に認定される(平成19年) ■国の重要文化的景観に選定される(平成26年)