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ロングインタビューvol.9 夢は「岩津ねぎ」の知名度をアップ(久 洋平さん)

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ページID:0015416 更新日:2024年5月9日更新 印刷ページ表示

ロングインタビューvol.9 夢は「岩津ねぎ」の知名度をアップ(久 洋平さん)​

久 洋平​さん (移住先:朝来市朝来地域)

久洋平

プロフィール

静岡県静岡市出身。2018年に朝来市に移住。
地元の高校を卒業後、兵庫県の大学へ進学。その後は朝来市に移住し、農業をはじめる。
主に朝来市名産の「岩津ねぎ」の生産者として活躍し、現在は朝来市内の空き家バンク物件を購入し、夫婦2人で過ごされている。

就農に至った経緯​

 久さんが農業への興味を抱いたのは大学時代の頃。
 当時、所属していたキャンプサークルでは、大学が所有するキャンプ場でキャンプの企画実施などを行っていた。その中で、畑を作り、野菜を栽培する経験をしたことがきっかけで、久さんは農業に興味を持つようになったそうだ。
 農業に携わりたいという強い思いから、大学を休学する決断をすることに。大学を離れ、神奈川県の三浦半島にある大根農家に住み込みで働くことになった久さんは、そこでの経験を通じて、ますます農業への情熱を深めていった。
 その後、大学の先輩からの助言で、「ふるさとワーキングホリデー」の制度を知った久さんは、都会に住む若者を対象にした地方滞在型の交流プログラムを利用し、朝来市にやってきた。
 「経済的に余裕がなかったので、無償で滞在できる場所を探していたところ、朝来市が見つかったんですよ。」
 これが、久さんと朝来市を結ぶ最初のきっかけとなった。
 久さんが滞在することになった場所は、朝来市にある高本農場さん。そこでは、シェアハウスに入居し、朝来市の特産品である「岩津ねぎ」の生産を手伝いながら、先輩移住者たちと交流を深めていった。ここでの貴重な経験が、久さんの農業への道をより一層確固たるものにすることとなった。​

改めて農業の道へ歩み出す​

 農業を実践してから約1年半、休学していた大学へ復学し、改めて農業の道を歩むことを決意した久さんは、卒業後、2018年9月に再度朝来市へ戻ることに。将来ひとりでもやっていけるように本格的な知識や技術を身につけようと、まずは朝来市の「新規就農希望者研修費補助金制度」を利用した。
 この制度は、新規就農を希望する者に朝来市認定農業者等のもとで最大3年間の研修を受けられるというもので、研修期間中には一定額の補助金が支給される。
 久さんは、先輩移住者かつ、就農者でもある池本さんの元で修行することとなった。池本さんは、数十年前に朝来市へ移住し、名産品の「岩津ねぎ」や「あさごみどり(お茶)」の生産をされている。
 「岩津ねぎの生産のノウハウはすべて池本さんから教わりました。今思えば、高本農場さんでの仕事を通じて池本さんと出会ったことが、朝来市で農業を志す一番のきっかけになりました。」
と振り返る。池本さんから伝授された技術や農具の使い方を駆使しながら、今では独り立ちをして岩津ねぎの生産に努めているようだ。​

移住してきたころ

 ◎移住して間もないころ。岩津ねぎの栽培もイチから学んだ。

岩津ねぎの農家として​

 久さんが生産する「岩津ねぎ」は、朝来市の誇る特産品。毎年4月に種まきを行い、収穫は11月下旬から3月の期間に限られており、その希少性から「幻のねぎ」とも称されている。太く長い姿が特徴的な岩津ねぎは、岩白ねぎと葉ねぎの兼用種で、青葉から白根まで全てが食べられる。特に白根は柔らかく、豊かな香りと甘みが絶品で、冬季には鍋料理や焼きねぎ、天ぷらなど、幅広い料理に愛用され、ギフトとしても人気を博している。岩津ねぎの歴史は古く、江戸時代には生野銀山で働く労働者の栄養源として栽培が始まり、昭和初期には品種改良が行われ、現在の岩津ねぎが誕生した。
 現在、久さんは自宅近くの畑で約六反の面積で岩津ねぎを栽培しており、年間約7トンをJAをはじめとする地元の物産店や飲食店に出荷している。
 「普通のねぎであれば、一反で約3トン収穫できるのですが、岩津ねぎはとてもデリケートな野菜なので、一反で1.5トンくらいがやっとですね。」と栽培の難しさを語る久さん。岩津ねぎは在来種であり、病気にかかりやすく生育もゆっくりなため、常に注意を払わなければいけない。また柔らかい性質から傷みやすく、取り扱いにも慎重さが必要とされる。
 「雪が降ると葉が折れやすいので、そのため雪よけなどの手間もかかります。葉が折れると出荷が難しくなってしまうので…」と、農家の苦労が伺えるだけに、岩津ねぎの美味しさがより一層際立つ。

ねぎ

農に携わる仕事スタイル​

 自らを「まだまだ未熟だ」と謙遜しつつも、すでに移住してから6年が経過する久さん。現在では立派に農業を営み、農業を主たる生計とした生活を送られているが、このような独立は決して簡単なものではない。移住先での独立には多大な努力が必要であり、池本さんのような模範となる人物の存在や、シェアハウス生活を通じての多くの出会いが、久さんにとって大きな支えとなってくれたという。
 その出会いと交流を大切にしながら、久さんは農業に精通した新たな取り組みも行われてきた。その一つがマルシェの開催。但馬地域を中心とした農家や飲食店が集まり、異業種の同世代の交流の場を提供することとなった。
 さらに、最近では同じ朝来市で同業者の仲間たちと、他地域の農業を勉強するための研修視察を行いながら、自身もピーマンや黒豆、山椒など新たな作物の生産に取り組み始めた。
 「岩津ねぎはだけでは冬季しか収入が得られないので、無収入の期間を減らすためにも始めたんです。特に“山椒”は国内でも生産量の低下から価値が上がっているので期待しています。」と語る久さん。先輩農家からの情報やYoutubeを活用しながら、独学で新たなことに挑戦し、多様性のある、枠にはまらない農業スタイルを築いている。

朝来市で楽しみ方とこれから​の目標

 一般的に都会と呼ばれる場所で生活してきた久さんだが、朝来市への移住に際して特にギャップを感じることはなかったという。元々田舎の風景が好きだったということもあり、生活に関して不便だとは感じることはなかったそうだ。
 「確かに公共交通機関が少なかったり、消費する娯楽がないかもしれませんが、必要な場合は車で大阪や姫路市などへ気軽に行ける範囲なので、それほど気になりません。むしろ田舎では、キャンプやバーベキューなど、自分たちで楽しみを創造することがしやすいというメリットもありますよ」と話される。
 また、自分の育てた野菜を提供している店舗にも足を運び、料理やお酒を楽しんでいるそうで、仕事を通じて新しい仲間との出会いが増え、その交流を深めながら楽しむことが久さんにとって一番のエンターテインメントとなっている。

料理

◎昨年、和田山駅前にオープンした居酒屋。ここでも久さんの野菜が提供されている。

 ​久さんの今後の目標は、岩津ねぎの知名度を京阪神地域に向けてさらに高めること。それほど岩津ねぎに魅力を感じ、愛情を持って育てているという証。生産が難しい品種であることから、安定した生産量が確保できていないのが現状ではあるが、いつかは京阪神の量販店に「岩津ねぎ」が常に並ぶようにしたいという強い思いで、仲間たちと力を合わせて朝来市の特産品の発展に大きく貢献されている。​


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