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ロングインタビューvol.5 Uターンして実家の和菓子屋を再開 (信部共徳さん)

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ページID:0006292 更新日:2023年1月6日更新 印刷ページ表示

ロングインタビューvol.5 Uターンして実家の和菓子屋を再開

信部 共徳さん (移住先:朝来市和田山町寺谷)

信部さん 写真

プロフィール

◎プロフィール
朝来市和田山町出身。
高校卒業後は大阪、京都、三重など主に近畿圏内で進学・就職をし、
2022年の春に、実家である和菓子屋「しの屋」を後継するためにUターン。
現在、店主を務め、お母さんと二人でお店を切り盛りされている。

実家の和菓子屋を意識するようになったきっかけ

 実家が和菓子屋である信部さんだが、ご自身が製菓と向き合うきっかけになったのは大学時代のアルバイト先でのこと。信部さんのアルバイト先はある大阪の寿司屋。ある時お店の主人から「君は日本人なのに、日本の文化のことを何も知っていないな」と言われたそうだ。
 日本には、お盆やお彼岸、節句がある。比較的、お盆やお彼岸は有名だが、年間に5つもある節句やその由来などは、あまり知られていない。
「今まで日本の文化というものを全く分かっていなかったからこそ、余計に興味が湧いたんです。実家も和菓子を扱うお店なのに…。」と話す信部さん。お彼岸のおはぎや5月の節句の柏餅など、日本の節目の行事と食べ物は関わりが深い。これをきっかけに信部さんは、大学を卒業後は京都の老舗和菓子店へ就職。信部さんの和菓子作りへの道は、ここから始まる。

 

しの屋 店舗 写真

 

和菓子職人として働く

 就職した京都の和菓子屋は、「塩芳軒(しおよしけん)」という京都・西陣で大正初期から営業されている伝統のある銘店。そこで住み込みで働くこととなった信部さん。実家が和菓子屋といえど、製菓に携わったことがなく、ここで初めて和菓子作りに向き合うこととなる。
 最初は、お菓子の名前も材料もわからない状態。働き始めて1〜2年は配達等の業務をこなしながら、お菓子に関わるさまざまのことを勉強したという。
 「進物用のお菓子に熨斗をかけたりして、水引にもいろいろな種類があることを知ったんです。本当に何も知らなくて、お菓子以外のこともたくさん覚えないといけないな、と思いました。ここでの仕事は就職というよりも修行に近いものでしたね。」と話す信部さん。その後は菓子作りも教わりながら職人として駆け出し、塩芳軒では6年間勤めた。

 その後は、神戸の製菓専門学校で、教員の仕事を経て、三重県伊勢市で和菓子職人として働くようになった。そこは有名な「伊勢・赤福」の五十鈴茶屋店。ここでは商品開発が主な仕事で、お茶席に出す生菓子の制作をされていた。伊勢神宮の中で行われる、茶道の表千家、裏千家、武者小路千家の三千家の面々が集う訪問茶会で使用するお菓子も信部さんが開発担当をするなど、大役もこなされていたという。
 また、かつて姫路市で開催された菓子博にも工芸菓子を出展されており、地元のPRにもなればと、但馬らしいコウノトリをお菓子で作成し、見事に受賞された経歴もお持ちだ。

 

工芸賞受賞作品と記念の盾 写真

工芸賞受賞作品と記念の盾

 

しの屋を受け継ぐ

 実家のお店「しの屋」は、先代のお父様が運営されていた。しかし、残念なことに2022年にお父様が亡くなり、当時、京都の専門学校で働かれていた信部さんが、急遽、実家へ戻り、お店を受け継ぐこととなった。
 「以前から、実家に帰省した時にお店の手伝いをしていたのですが、継ぐということは考えていませんでした。やはり父の店ということもあって、仕事のことについては、あまり口も出せませんでしたし、帰省して手伝っているときには喧嘩もしていました。」と話される。
 お父様が亡くなられたタイミングで一度休業していたが、2022年の夏には再開。まだ信部さんが店主になってから数ヶ月しか経っていないが(*取材時点)、店頭の生菓子は一新され、季節感のある、見た目にも美しい生菓子が並んでいた。
 しの屋の看板商品は、「とらふす饅頭」と「ほほえみ饅頭」。とらふす饅頭は朝来市の名所「竹田城跡」の別名「虎伏城」の名前にちなんだ、お土産としても人気の銘菓。石垣のようなゴロゴロっとした見た目が特徴的。また、ほほえみ饅頭はやさしいミルクの香りが漂うやわらかな食感と、微笑むお地蔵様の顔が焼印された見た目もかわいい饅頭。


 これらは先代から受け継がれた商品だが、餡については信部さんが新たな配合で作っているとのこと。「父が餡の配合のレシピを残していなかったんです。ただ自分の経験に基づいた餡作りで、今の時代に合ったものを作っています。近年は保存方法も充実していているので少し甘さを控える配合にするほか、口当たりをよくするために柔らかさを重視しています。」と、父の残したものを継承しながらも、今までの経験を活かして中身をグレードアップさせているようだ。

 

とらふす饅頭と、ほほえみ饅頭 写真

とらふす饅頭(左)と、ほほえみ饅頭(右)

 

地元で商売をして感じたこと

 実家を受け継いで、第二の生活を始めた信部さん。以前勤めていた京都や三重とはまるで違う環境の中、商売にはどんな変化があったのだろうか。
 現在は、店舗での製造・販売をメインとしているが、地元の特徴として特注商品の依頼が多いようだ。例えば法事用のお菓子や、赤飯、白蒸しなどの餅菓子など。田舎では、一見のお客よりも馴染み客の方が多い。久しぶりに戻ってきた地元で、父の代からのお客と向き合いながら、お茶会や祝い事にお供え物など、多様な注文に応えるようにしているそうだ。
「先日は誕生餅の注文がありました。特にお餅はよく依頼されますね。周辺のお菓子屋も少なくなってしまったので、こういった注文ができるお店として重宝していただいています。」と、昔と比べて、人の賑わいも店舗も少なくなってしまった田舎の現状だが、そんな中でも地域の方々に重宝していただいていることに感謝している信部さん。


 また、お店で扱う商品の材料も、地元で購入できる近隣の産地のものを使用されているそうだ。朝来は丹波地域が近いこともあり、ツクネイモとよばれる山芋や栗、黒豆は丹波産のものを使っている。さらに知人の勧めなどから、季節商品の材料などにおいても積極的に地産地消に取り組まれている。
 商品の販売についても近隣の大型スーパーにも置かせてもらったり、ふるさと納税の返礼品としても登録するなどして、できる限り販路を広めようと努力されているようだ。

季節の和菓子 写真

季節の和菓子

 

Uターンして暮らしてみて

 朝来へ戻られた信部さんだが、暮らしに何か変化があったかと尋ねたが、特に大きく変わることはないという。「帰ってきてから半年ほど経っていますが、一日のルーティンは結局一緒なんです。働いて、家に戻ってご飯を食べて、テレビやパソコンを見て…。強いて言えば一杯飲みに行こうかってことが少なくなったくらいです。」と話される信部さん。
 ただ、帰省後は、地元の幼馴染の友人と遊びに出かけることも多くなったという。やはり都会に住んでいたときよりも歩くことは格段に減ったとのことで、幼馴染とはよくウォーキングやサイクリングをしているそうだ。近所の神社などにも改めて行ってみると、昔では気づかなかったことを再発見するそうで、名所を巡るなど地元を楽しまれている。
 「まだ行けていないのですが、釣りがしたいです。都会に住んでいるとなかなか遠くて行こうと思えなかったのですが、帰ってきて海も近くなったので行きたいです。」と、地元を一旦離れたからこそ地元の良さに気付き、それを満喫しようとされていることが伝わってくる。

店舗についての今後の目標

 信部さんの今後の目標は、新商品の開発、そしてネット販売による販路の拡充。そのために日持ちするだけの商品ではなく、冷凍に対応できるような商品も増やしていきたいそうだ。
 「父のやってきたお菓子というものを継続して守りつつ、自分のできる範囲で幅を広げていこうと思っています。」と話す信部さん。その取り組みのひとつとして考えているのが、「うどん作り」だという。お菓子とはまるで異なる発想に驚かされたが、しっかりとした理由が裏付けされていた。なんでも茶会には「茶懐石」と言われるものがあるそうだ。一般的に茶会は、お茶を飲みながらお菓子を食べるというイメージしかなかったが、本来は懐石料理を食べながらその後にお茶やお菓子を嗜むといったもので、その最後にはうどんが出てくるそうだ。茶会というのは、宴会的な意味が強いようで、お酒を嗜むこともあるという。
 「茶道や茶会に密接している和菓子屋だからこそ、うどんを作ってみるのも面白いかなと思っています。」と、好奇心旺盛な一面もみられた。

 

製作用の型も飾られている 写真

店内にはかつて使われていた製作用の型も飾られている

 

 しの屋は、播但線の和田山駅のすぐ近くにあるお店。駅前には商店街があるが、昔ほどの賑わいがなくなっているのが現実。しかし、新たにオープンするお店があるのも確かで、そのことに刺激を受けながら、信部さん自身もここで地域のお菓子屋として奮闘する強い想いを抱かれている。
昔の賑わいを取り戻すのは難しいことではあるが、信部さんのような想いを持った人がたくさん集まれば、きっと活力のある新しいまちづくりに繋がるはずだ。

 

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