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ロングインタビューvol.6 京都市から移住し第2の人生 昔ながらの農法で半自給自足生活(大西利幸さん・三果さん ご夫婦)

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ページID:0009682 更新日:2023年5月8日更新 印刷ページ表示

ロングインタビューvol.6 京都市から移住し第2の人生 昔ながらの農法で半自給自足生活(大西利幸さん・三果さん ご夫婦)

大西利幸さん・三果さん ご夫婦 (移住先:朝来市石田)

大西さんご夫婦 写真

プロフィール

◎プロフィール

利幸さんは姫路市のご出身、妻の三果さんは奈良県のご出身。
長年勤務した大手百貨店を早期退職し、2017年に京都市から朝来市へ移住。
市内を南北に貫く円山川沿いの、のどかな田園風景の中にある古民家を購入。
こだわりの農法で農業をしながら、半自給自足の生活を送られている。​

朝来市へ移住 第2の人生の幕開け

 利幸さんは、移住前は全国展開の大手百貨店で勤務されていた。1986年から百貨店勤務一筋で31年もの間勤続され、バブル全盛から崩壊後の激動の時代を歩み続けたという。
 業界が低迷し、常に変化を必要とされる中、利幸さんが24年間の店舗勤務後に新たに配属された部署は、本社で経営のコスト構造の改革、いわゆる企業全体のコストカットをする部門。店舗では管理職と並行して16年間労働組合の役員も担った。本社でも多忙な毎日を過ごされていた利幸さんだが、次第に「大企業を離れたい」と思うようになる。
「コストを削って出た利益のかなりの部分が株主配当へと消える大企業の仕組みは変わらない。このまま働き続けても、転職をしたとしても、きっと同じことの繰り返しになってしまうと思ったんですよね。そう思いだすと、虚しくなってきて田舎で自給自足のような自分で直接生活を支える人生を過ごしたいと思い始めたんです。」と当時を振り返りながら話す利幸さん。
 そう思った利幸さんは、すぐに移住を決意。妻の三果さんに事情を話すと、すんなり受け入れてくれたそうだ。
 「やめちゃえ、やめちゃえ、みたいな感じですぐ賛同してくれました。妻も元々、田舎暮らしが好きだったみたいで。うちの母親も好きなようにしたらいいと言ってくれたので、あとは妻の両親にも納得してもらって、移住を決断できました。」と利幸さんは振り返る。​

 2015年12月の時点で、すでに住む家と農業用の畑を朝来市に準備され、2017年の1月には選択定年制度を用いて55歳で早期退職。そのタイミングで京都の持ち家を売却し、朝来市で第2の人生をスタートすることとなった。

趣のある古民家

◎築90年以上、趣のある古民家。
   昔ながらのストーブや農機具は、まだ現役とのこと。

築90年以上の趣のある住まい

 大西さん夫婦が住む家は、築90年以上の立派な古民家。田畑に囲まれた中に自然と溶け込むような家屋はアニメのワンシーンに出てきそうな佇まい。また、敷地内には内庭があり、それを囲む門扉が特徴的。庭木には、桜や椿、松など背の高い木々が住居を囲うように立ち並んでおり、家にいるだけで四季を感じられる素敵なお家だ。庭の桜が咲くころには、近所の方々が自然と集まり、お花見が始まるとのこと。
 「ここは、家こそ古いんですが、リフォームされていたおかげで一部の壁や天井しか改修しなくてよかったので本当に助かりました。水回りもそのまま使用できて、家自体も安く売っていただけたので、予想以上に費用が抑えられました。」と話す利幸さん。
 ただ、古い家だけに弱点もあるようで、冬は特に寒く、冬期はほとんど奥の居間に籠って過ごされているそうだ。その代わり、夏はエアコンが必要ないくらい涼しくて快適とのこと。
 この住居は、市の空き家バンクを利用し、市内の空き家を何軒も回って見つけられた。農地が家から見える範囲にある点が、大西さんたちにとっての決め手となったという。​

四季を楽しめる古民家の暮らし

◎家にいながら四季が楽しめる暮らし
 庭の桜が咲くと自然と人が集まり花見が始まる(左)
 年に数回は雪に覆われるがそれもまた風情がある(右)

昔ながらの農法にこだわった農業ライフ

 実際に移住するまでの約1年間は、週末移住のようなスタイルで朝来に通って畑作業をしていたという。当初は借りていた畑も2年後には買い取り、田んぼも合わせて約4反手に入れ、念願の米作りを始めることとなった。
 そして、手に入れた田んぼで最初の田植えをはじめた大西さん夫婦だが、作業をするには、農機具や機械が必要となる。初めは、近隣の住民や知人から譲り受けたり、不要な農機具を持っている人を紹介してもらうなど、周囲の協力によって助けられることが非常に多かったという。また、大西さんたちの稲作は最近ではあまり見られない「稲架(はざ)」の手法を採用している。稲架とは束ねた稲を稲木と呼ばれる棒に架けて、約2週間ほど天日干しをするやり方。コンバインで刈り取りから脱穀まで行い、最後は乾燥機で乾燥させるのが一般的だが、そこが大西さん流のやり方。時代に逆行したやり方でも、より自然に近い、昔ながらの農法にこだわっている。​

稲木干し

◎昔ながらの「稲架」を使った天日干し

 大西さんご夫婦のもうひとつのこだわりは、畑での”不耕起”による自然農。
 不耕起とは、農地の土を掘り返さずに植物を栽培する農法のこと。不耕起農法では、土壌中の微生物や有機物が持つ働きを大切にし、土壌を健全に保つことができる。
 「どうしても不耕起で陸稲(おかぼ)をやりたくて、ネットや本で色々調べていたんです。今では田んぼで無肥料の稲作をしていますが、農薬も使わないので雑草がすごくて大変で…昔ながらのやり方は実際にやってみないと分からないので、手探り状態ではじめました。」と話す利幸さん。実際に除草から稲の刈取りまで、ほとんどの作業を人力でされているそうで、農業をされている期間は体重が8キロほど落ちてしまうという過酷さだという。
 「だいたい稲作しているときは、朝の4時に起きて15〜16時くらいまで作業しています。作業が終わって帰る頃にはもうクタクタで…。でも、その後に飲むビールが最高に美味いんですよね。」と楽しそうに話される。
 農作業の過酷さも1杯のビールの美味しさには敵わないといった表情だ。​

昔ながらの器具を使った農業

◎大西さんの農法に合った農機具。これらも地域の方の協力により入手した。
 農薬を使用しないため、手作業で雑草の除去を行う(左)
 稲架で干すために、稲刈りも昔の機械でこのように行う(右)

農業には自然によるトラブルもつきもの

 稲木を使った最初の年は台風で9本立てていた稲架のうち8本が倒れてしまったそうだ。大西さん夫婦が呆然となる中、近所の方たちがその様子を見て、みんで知恵を出しながら復旧作業を手伝ってくれた。「二人でやっていたら丸1日はかかりそうな作業が、みなさんが手伝ってくれたので、わずか数時間で復旧できたんですよ。本当にみなさんの手助けには感謝しかないです。」と話す三果さん。
 このようなトラブルがあった時も含めて、日頃から助けになってくれるご近所さんの存在が大西さん夫婦の大きな支えとなっているようだ。

地域の方の協力を得て

◎周囲には農業のプロが大勢。様々な知識を提供してくれる。


 そんな大西さんたちの作る無肥料・無農薬・天日干しの米は、年に15袋ほど採れるそう。その多くは、知人、友人、身内に食べてもらっているようで、美味しいと評判だそうだ。
 「食べてもらった方に美味しいと言ってもらえることが本当に嬉しい。大変な作業が報われる瞬間で、農業をやったからこそ味わえる喜びだと思います。」と、農業生活にやり甲斐を見つけられている。

収穫したお米

◎大西さんこだわりのお米を袋詰め。お客さんからは美味しいと好評とのこと。

移住後の生活を振り返って

 大西さん夫婦が移住されてすでに6年(2023年現在)。地域住民と支え合いながら農業に励む生活を続けられ、今の生活に充実感を得ているという。
 利幸さんが語るには、「会社勤めの時も、あれはあれで良かったと思います。すごく仕事に充実感を感じていましたから。けれど今はそれ以上に楽しい。だから一つの人生で二度楽しめています。一粒で二度美味しい、某お菓子のキャッチコピーと同じですね。」と笑顔の利幸さん。やりたいことを全力でやる利幸さんだからこその素敵な言葉。住む場所は違えど、その環境で一番楽しいと思えることを夫婦で共有できているのは、とても羨ましく感じる。
 また、「若い人にも農業の素晴らしさ、大切さを体験してもらい、少しでも多くの人に農業に携わってほしい」と三果さんは自らの経験から語る。

 何より二人が移住後一番に感じているのは人の温かさだという。「農業だけではなく生活全体において、本当に地域の方に支えられていると思います。これが田舎ならではの良さなんだとつくづく感じました。それに、私たちがやっている昔ながらのやり方をしっかり見守っていただき、逆に地域の方が昔を思い出して同じようにされ始めたりもして、すごく楽しいですよ。」と、大西さんたちの存在が地域にとっても互いに刺激し合っているのが分かる。
 話好きで親しみやすい二人だからこそなのかもしれないが、これからも地域の人との繋がりを大切にしながら素敵な「あさご暮らし」を続けていって欲しい。

移住後の暮らし

 

 

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