本文
竹田城跡周辺
全国一の山城遺跡 国史跡「竹田城跡」
「竹田城跡」周辺
寺町通り
古城山のふもと、4カ寺と表米神社が並ぶ約600メートルの区間は「寺町通り」と呼ばれ、歴史散策路として親しまれています。白壁の塀や錦鯉が泳ぐ小川、松並木、小川沿いと虎臥城公園に植栽された約3000株の花しょうぶなどが目を楽しませてくれます。
表米神社
祭神は格技を好んだという表米宿弥命。参道横の広場に相撲桟敷が設けられています。これは全国でも珍しい半円形石積段型桟敷で、県指定文化財となっています。正面には舞台もあり、歌舞伎なども上演されたのではと考えられています。
法樹寺(ほうじゅじ)
竹田城最後の城主赤松広秀の菩提寺です。赤松公は文人としても優れ、領民から慕われる武将でしたが、関ヶ原の合戦で西軍に属し敗北。その後、鳥取城攻めで城下に火を放ったとされ、鳥取(真教寺)で自刃しました。境内の裏手に墓碑が祀られています。その横には、無数の無縁仏の石碑があり、菊花御所車の紋章入りの墓碑もあって、木地師の墓といわれています。
勝賢寺(しょうけんじ)
赤松広秀の前の城主、桑山修理太夫重晴ゆかりの寺です。重晴の嫡子夫妻の墓碑と伝わる五輪の双塔があります。かつては赤松公家臣、平位善右衛門の屋敷跡といわれています。
常光寺(じょうこうじ)
山名宗全の四天王の一人であり、竹田城の初代城主、太田垣光景の菩提寺。光景公の墓碑とされる石塔が残っています。正親町天皇の勅願寺になったため、筋壁5条引きの白線が入っている。山門前の石橋は、宝永4年(1707年)5月手記銘のあるものでは但馬最古といわれている。
善證寺(ぜんしょうじ)
瓦に載った築地塀が美しい善證寺は14世紀に創建され、寛永年間(1624-1643)に現在地へ移されたと伝えられています。
たけだ城下町交流館
明治初期の造り酒屋を改修し、情報館「天空の城」や宿泊施設、レストラン、カフェ、マルシェなどを備えた施設が平成25年11月にオープンしました。
わだやま観光案内所
竹田城跡や立雲峡など、竹田地区を中心とした資料展示など、各種観光情報を提供しています。