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手話はみんなのもの No.4
●手話サークル
日本で一番最初にできた手話サークルは、京都の手話学習会「みみずく」です。昭和38年(1963年)1月に1人の聴覚障害者が、京都の赤十字病院に入院したことがきっかけでした。昼間働き夜学校に通っている看護学生が、聴覚障害者との言葉のすれ違いに悩み、20人余りの学生に呼びかけ手話を学びました。
そして、手話を学んでろうあ者の耳代わりをしよう、ろうあ者に耳が付く⇒みみつく⇒「みみずく」と、会の名称を決め、12人の仲間で活動を始めました。手話学習会「みみずく」の目的は「手話を学んで、ろうあ者の良き友となり、すべての人に対する差別や偏見をなくしていくために努力し、その活動を通じて私たち自身も向上していくこと」です。
毎週1回の学習会を行い、約6か月で基本的な単語、基礎会話、指文字を習得し、ろうあ団体への協力、ろうあ者実態調査、手話劇練習、ろうあ者との交流等を行ったそうです。
「みみずく」の結成後、全国各地に手話サークルが誕生していきました。兵庫県で一番早く誕生した手話サークルは神戸市にある「葦の会」です。現在では、ほぼすべての地域と多くの大学に手話サークルがあり、ろうあ者と聞こえる者が交流し、一緒に活動する場となっています。
また、手話学習会「みみずく」は、昭和42年には「みみずく手話通訳団」を結成し、当時はまだ手話通訳制度はできていなかったので、手話通訳の派遣や生活相談などを行いました。例会には必ず出席する、輪番で手話通訳活動に協力する、1か月に1回は通訳研究会を開くこと等を決めました。その活動は先駆的で、その後の国の「手話奉仕員養成事業」等に影響を与える貴重な実践となったそうです。
そして、手話を学んでろうあ者の耳代わりをしよう、ろうあ者に耳が付く⇒みみつく⇒「みみずく」と、会の名称を決め、12人の仲間で活動を始めました。手話学習会「みみずく」の目的は「手話を学んで、ろうあ者の良き友となり、すべての人に対する差別や偏見をなくしていくために努力し、その活動を通じて私たち自身も向上していくこと」です。
毎週1回の学習会を行い、約6か月で基本的な単語、基礎会話、指文字を習得し、ろうあ団体への協力、ろうあ者実態調査、手話劇練習、ろうあ者との交流等を行ったそうです。
「みみずく」の結成後、全国各地に手話サークルが誕生していきました。兵庫県で一番早く誕生した手話サークルは神戸市にある「葦の会」です。現在では、ほぼすべての地域と多くの大学に手話サークルがあり、ろうあ者と聞こえる者が交流し、一緒に活動する場となっています。
また、手話学習会「みみずく」は、昭和42年には「みみずく手話通訳団」を結成し、当時はまだ手話通訳制度はできていなかったので、手話通訳の派遣や生活相談などを行いました。例会には必ず出席する、輪番で手話通訳活動に協力する、1か月に1回は通訳研究会を開くこと等を決めました。その活動は先駆的で、その後の国の「手話奉仕員養成事業」等に影響を与える貴重な実践となったそうです。
●手話のなりたち(字の形から)
「字の形」からできた手話の中から、「田」「川」「井」「中」「北」を紹介します。「物の形」からできた手話や「動き」からできた手話などと組み合わせて、名前を表すときによく使います。
https://youtu.be/4rUMOfE7tyk