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史跡 生野銀山

ページID:0001119 更新日:2023年1月6日更新 印刷ページ表示

史跡 生野銀山

幕府の直轄鉱山として栄えた 史跡生野銀山

生野銀山
銀山隆盛の歴史を今に伝えるおよそ1kmの観光坑道。江戸時代の生々しいノミの手彫り跡が残り、明治期以降の近代的な採掘作業の様子などを坑道内で再現しています。かつてのエレベーターの巨大な巻揚ドラムは圧巻。

史跡生野銀山(株式会社シルバー生野ホームページ)<外部リンク>

営業時間

(観光坑道受付終了時間)
4月~10月:午前9時10分~午後5時20分 (午後4時40分)
11月:午前9時10分~午後4時50分 (午後4時10分)
12月~2月:午前9時40分~午後4時20分 (午後3時40分)
3月:午前9時40分~午後4時50分 (午後4時10分)

休館日

定休日 12月~2月の3ヶ月間のみ毎週火曜日
(火曜日が祝日の場合は翌日)

入場料金

入場料金表
区分 大人 中高生 小学生 小学生未満
一般 1000円 600円 400円 無料
団体(20名以上) 900円 540円 360円 200円
団体(100名以上) 850円 510円 340円 200円

※駐車場料金 無料(普通車210台、大型バス10台)

問い合わせ

株式会社シルバー生野
〒679-3324 兵庫県朝来市生野町小野33番地5
電話 079-679-2010

 

「鉱石の道」の歴史をたどる

幕府の直轄鉱山として栄えた 史跡生野銀山

 生野銀山は、天文11年(1542年)に本格的な採掘が始まりました。織田、豊臣、徳川それぞれの直轄鉱山として栄え、明治元年(1868年)には政府直轄となり、その後は皇室財産にもなった大鉱山です。銀や銅などの鉱物を数多く産出してきましたが、昭和48年に閉山。現在では当時の模様を再現した観光施設として一般公開しています。鉱石を掘っていた坑道を散策すると岩肌には鉱脈が見られ、電気仕掛けの人形が作業風景を再現しているなど、今となっては珍しい産業のことを楽しみながら学習できます。

変遷

 開坑は大同2年(807年)と伝えられていますが、詳しい文献資料がなく、正確な時期は不明です。室町時代後期の天文11年(1542年)、当時の但馬守護であった山名祐豊が銀山を目的に生野に進出。生野城を築いて、鉱業を主体とする政務を掌握しました。為政15年間の採銀量は莫大な量に達したものと思われます。なお生野城は、大正時代に撤去されるまで、代官所や生野県庁舎として地域の中心的役割を果たしました。
 平成6年に行われた代官所跡の発掘調査では日本で最古の銀製錬遺跡が見つかっています。その後経営は、竹田城主太田恒氏から、織田、豊臣、徳川氏へ移管。直轄事業として銀山開発が盛んに行われ、最盛期を迎えました。江戸時代には、最高位の銀山に対する名称「御所務山」が与えられ、これを祝して山車を引き回しました。山神祭の伝統行事として行われていた「御見石」引きは、これにちなんだものでした。
明治元年(1868年)には、貨幣制度の改革にともなう材料確保の必要から、政府の直轄鉱山になりました。朝倉盛明やフランス人技術者セアン・フランソワ・コワニエらによって、フランス式レンガ積建物や鉱山関連物資の輸送用道路「生野銀山寮馬車道」(生野―飾磨間)が建設され模範鉱山として整備されました。明治22年(1889年)から宮内省に所属。御料局生野支所と名称が変更されました。明治29年(1896年)、政府から三菱合資会社に払い下げられ、はじめて民間事業として操業します。その後は「山はね」などの老化現象や、地下資源の枯渇による品位の低下などが目立つようになり、昭和48年(1973年)に閉山されました。以後、鉱山資源を生かした地域観光開発に着手。旧坑道を利用した坑内展示施設や資料館、生野鉱物館(生野銀山文化ミュージアム)などが建設され、現在、数多くの観光客が訪れています。

特徴

 生野銀山で産出された銀は、16世紀半ばになると朝鮮の綿布や中国の絹と交換貿易されるなど、日本の代表的な輸出品として海外からも注目されるようになり、関西の貨幣経済や文化に大きな影響を与えてきました。
 また「江戸の金づかい、上方の銀づかい」と言われるように、生野銀山は銀が主体の鉱山と考えられてきましたが、実際には、産出する鉱石に占める金の割合は、佐渡金山の金の比率よりも高いことがわかっています。

生野銀山絵巻

生野銀山絵巻 坑内の図
坑内の図
昔の坑内は人一人が腰をかがめてやっと通れる程度の狭くて低い堀場であった。そして坑内で働く人達を称して下財(地下の財宝を掘る人)または芸才といった。

生野銀山絵巻 御所務山の図
御所務山の図
代官所から掛役人2名が派遣され昼夜詰め切りで取締を行い、掘り出した鉱石をあらため、税金を徴収した。中央では坑内で使う梯子を準備している。

生野銀山絵巻 素吹の図 真吹の図
素吹の図 真吹の図
製錬の方法で灰吹銀での一過程、右の方は「素吹」で銀銅の荒吹が残り、左の方が「真吹」で銅鉛に熔けた銀分を取り出す。

御見石引き
江戸時代になると生野銀山には「御所務山」という最高位の鉱山に対する名称が与えられ、これを祝して、山神祭に山車を引き廻した。これが「御見石」引きと呼ばれる。

生野鉱物館(生野銀山文化ミュージアム)

鉱山資料館
江戸時代までの生野銀山、明治以降の生野鉱山の歴史、探鉱・採掘・選鉱・精錬の工程、鉱山町特有の町並み、鉱山文化などのパネル展示や、生野鉱山で長く活躍された藤原寅勝コレクション609点、小野治郎八コレクション155点などの貴重な鉱物標本なども展示されています。
また、生野銀山、石見銀山の、江戸時代の原寸大坑道模型(狸掘り)も展示されており、実際にその坑道模型を潜る体験もできます。
入場料金は、小学生以上別途100円。


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