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吊橋・金木鋳鉄橋・無名橋
「鉱石の道」の歴史をたどる
生野(朝来市)、神子畑(朝来市)、明延(大屋町)の3鉱山は一体的に事業運営されてきた鉱山で、3地域はこの鉱山産業によってまちが形成されてきた地域です。
馬車道
吊橋
菊花のご紋章 鋳鉄製・直径25cm・16弁の菊花
吊橋が架かっていた場所
流出後は、橋脚式となった
吊橋の親柱の上にあった菊花のご紋章
(教育委員会所蔵・ムーセ旧居に展示)
生野鉱山が明治22年から29年まで宮内省御料局所管となり、その経営にあたった当時に作られたものである。
神子畑鉱山より2つ目の橋、神子畑鋳鉄橋の次の橋(吊り橋)の親柱の上にあったものである。
金木鋳鉄橋
鉱山道路は、鉱石運搬の専用道路とされていたが、特に、県道姫豊線(現在の国道312号)が、生野町円山から小田和の集落を通って生野峠まで続いていたが、この間は、カーブがきつく、鉄道と平面交差をしているため、通行に不便をきたしていた。
そのため、昭和29年に県移管、昭和33年にルート変更がなされ、県により播但線の東側を通る従来の鉱山道路を活用した形で、改修付け替えが行われた。
したがって、鉱山道路(専用道路)にかけられていた二つの橋は撤去され、コンクリート橋に変わった。由緒あるこの二つの橋は、このようにして姿を消してしまった。
撤去された鋳鉄の橋の部材は、古鉄として処分されたようである。金木橋は、現在は、「鐘起橋」となっている。
生野町円山 金木橋跡
(現橋名 鐘起橋)
鉱同金木橋跡
無名橋
五つの鋳鉄橋のうち、一番南の、生野町小田和字サンマイ谷に架けられたものである。橋長は約4mで、短い橋である。小渓流の上に架けられたものであろう。金木橋と同様に、県道の付け替え工事により、撤去され、コンクリート橋になった。
無名橋 この付近か
小田和サンマイ谷