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ムーセ旧居
ムーセ旧居 県重要有形文化財(建造物)
慶応4年(1868)6月 | 鉱山技師コワニエ生野鉱山勤務(明治10年1月まで) |
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明治4年(1871)12月 | 鉱山技師ムーセ(ムーシェ)生野鉱山勤務(明治13年4月まで) |
明治4年以後 | フランス人技師宿舎1号館、2号館(ムーセ旧居)が建設された。 |
明治9年(1876) | 生野鉱山寮馬車道が完成した。(生野-姫路飾磨港間49Km) |
明治11年(1878)11月 | 神子畑鉱山が再発見された。 |
明治12年(1879) | 神子畑鉱山開坑に着手する。 |
明治14年(1881) | 神子畑鉱山の本格開坑、開発が始まる。 |
明治20年(1887) | 神子畑・生野間の鉱石運搬の馬車道が完成した。 |
明治21年(1888) | 生野鉱山2号館(ムーセ旧居)が生野から神子畑に移築された。 |
所在地 | 朝来市佐のう※1826番地の1 |
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所有者 | 朝来市 |
指定年月日 | 平成4年3月24日 |
構造規模 | 木造平屋建て |
建築面積 | 建築面積 |
備考 | 平成16年4月14日移築復元竣工 |
※「佐のう」の「のう」はこの字です。
ムーセ旧居は、明治4年12月ごろから翌年以降にかけて生野鉱山に建設されたであろう五棟の外国人宿舎のひとつであり、そのうちの一番館(二階建て)と二番館(平屋建て)は、生野鉱山から少し離れた白口にあったものである。後に神子畑に移築されたのが二番館であり、現在のムーセ旧居である。
鉱山開発に携わったフランス人技師たちのうち、ムーセやコワニエたち幹部妻帯者の居住宿舎として使用されていたとのことである。
神子畑鉱山の開発にともない、明治21年にこの地に移設され、事務舎、診療所として利用され、これまで、ムーセ旧居の名称で親しまれてきた。平成4年に県指定重要有形文化財(建築物)の登録を受けた。
その後、建物の老朽化が進み、また国道429号バイパス計画により、県補助を受け当初位置より北西側に移築復元したものである。
コロニアルスタイル(植民地様式)と呼ばれる特徴を持ち、七間四方の四周には、ベランダをめぐらし、外壁の四隅には石を積み上げたように見せるコーナー・ストーンの技法が使われている。
今回の修復では、神子畑に移設後のスタイルに復元したが、付属の管理棟は、生野鉱山時代の写真を元に復元整備をしたものである。
暖炉が発見された炉石を元に、3箇所を復元したが、暖炉飾りには明治時代後半の神戸の異人館の形状を参考にして復元整備をしたところである。
設計者は、明治政府が招聘したお雇い外国人技師のJ・レスカスであったという記録も残っており、明治初年の建築文化を知る上で貴重な遺産となっている。
なお、建築年度は、明治5年頃とされているが、コワニエの来日、生野鉱山入りが慶応4年、ムーセの生野鉱山入りが明治4年12月であり、生野町の西福寺、金蔵寺に入居し生活をしていたが、より快適な生活を保障する必要から、明治5年以後の比較的早い時期に建築されたものと思われる。また、屋根瓦に菊花のご紋章があり、明治22年から7年間、宮内省財産(御料局生野支庁)となったことの名残でもある。
いずれにしても、明治初年の建物であり、神戸の異人館等と比較しても、より早い時期に建てられたものであり、その意味からも貴重な建物といえる。
桜とムーセ旧居
ムーセ旧居全体
百日紅とムーセ旧居
ムーセハウス写真館としてオープン
ムーセ旧居資料館として整備
「鉱山の 歴史を語る ムーセ邸」
改築前のムーセ旧居
生野町白口に建てられた1号館、2号館(奥側)
平成16年 夏 百日紅と
平成16年11月ムーセハウス写真館・資料館となる
「百日紅(さるすべり)の大木 但馬の巨木100選のひとつ
百日紅は、神子畑選鉱場ムーセ旧居の前にある。樹齢推定約200年、根回り257cm、樹高約8mの大木です。この百日紅は、根元より3本に分かれて樹姿も良く、夏には真紅の花に彩られる。
問い合わせ
鉱石の道神子畑交流館「神選」
住所:兵庫県朝来市佐のう1842番地1
電話:079-666-8002
公式HP:神子畑選鉱場跡(別ウインドウで開く)<外部リンク>
営業時間:午前10時から午後5時まで
定休日:毎週水曜(祝日の場合は翌日)、年末年始
「佐のう」の「のう」はこの字です。