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一緒に考えよう!子どもたちが人生を前向きに歩んでいくための心の土台づくり(コラム連載vol.4 比較されるキモチ)
コラム連載vol.4
比較されるキモチ
私の学生時代からの友人に、ある双子の姉妹がいます。二人は双子ということもあり、家庭や学校で比較されて育ちました。
両親は優等生の姉には期待をし、テストで80点を取ってもあと20点取れなかった理由を問い正していたそうです。それは前月号の「条件付きの愛」のよう。一方、学業がそれほど優秀ではなかった妹の成績が振るわなくても、そこは諦め半分(?)、「あなたなりに生きていけばいい」という反応だったようです。
そのような環境で姉は優越感を持つ一方で、引き立て役になる妹に嫌われないかと不安を感じていたそうです。また、過度な期待を受けた為か、失敗することを極度に怖がる「完璧主義者」になりました。そして、高校時代にはそのプレッシャーから解放されたくて家出をしたり、ストレスで体重が一気に10kgも減ったりと、心身共に影響が出たようです。
一方で妹は劣等感を味わい、学校では無意識に自分の引き立て役を探し、その子よりも優位に立つことで姉が感じているような優越感を得ようとしたようです。しかし、姉とは別の高校に進学したことが転機となって、周囲から比較されなくなり、元々両親から過度な期待をされていなかったこともあってか、初めて自分の価値観を大切にすることができたそうです。
今となっては姉の方も周囲に囚われることなく、自分らしい生き方を楽しんでいますが、多感な時期に比較され期待を背負ってきた分、その今の境地にたどり着くまでには、何かしら乗り越えなければならなかった壁がきっとあったんだろうと思っています。
他者との比較は一時的な満足感を得られることがあっても長続きせず、不毛な揉め事まで生むこともあって、自己肯定感を育む上で悪影響しかないと私は考えています。
いずれ社会に出れば否応なく比較されることがあるでしょう。だからこそ家庭では比較も過度な条件付けもせず、一人ひとりの個性を尊重することが大切だと思います。そして、外で比較されて辛くなった時に、自分自身をリセットできる場として家庭が機能すれば、強くしなやかに生きやすくなるんだろうと私は思います。
大人になっても誰かと比較されるのは気持ちのいいものではないですね。そう言えば世界一の安打数を誇るあのイチロー選手でさえ、他者と比較して決まる首位打者ではなく、他者との比較によらない「年間200本安打」をずっと目標に掲げていたのは、何かそんな理由があるのかな。
次回は、「常識への囚われ」について考えてみたいと思います。
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コラムの筆者の紹介
前川 進介 さん
昭和53年(1978)丹波市生まれ
(株)みんなの村代表取締役
平成28年度から朝来市人財育成プロジェクトディレクターとして、ASAGOiNGゼミU-18の講師や、自己肯定感を育むための言葉かけなどをまとめたパンフレット『子どもたちの未来のために子育て中の私たちが今できること』づくりに携わっています。