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朝来市の歴史
歴史
朝来市には近畿地方最大の円墳「茶すり山古墳」や但馬地方最大の前方後円墳である池田古墳など貴重な古墳が多く、発掘された副葬品などから、古代に但馬地方を統治した最高権力者が、数代にわたってこの地方を基盤としていたことがうかがえます。
生野銀山は、平安時代初期の807年(大同2年)に開坑したと伝えられています。本格的な採掘は室町時代後期に、但馬国守護・山名祐豊により始まりました。織田、豊臣、徳川などの時の権力者は直轄地とし、重要な財源とし銀山奉行や生野代官を置き、この日本一の銀山を管理してきました。
明治には政府直轄の銀山として30人のフランス人技師などを招き、目覚しい近代化を成し遂げました。その結果、生野の町や神子畑選鉱場周辺にはトロッコ軌道が整備され、日本最古の鋳鉄橋や西洋人宿舎などの近代化遺産が今でも数多く残っています。
竹田城跡
15世紀に但馬守護の山名宗全が基礎を築き、後の時代に「虎臥城」(とらふすじょう)とも呼ばれる南北400m、東西100mの山城が築かれました。
生野銀山
平安時代初期の807年(大同2年)に開坑したと伝えられている生野銀山は幕府や政府の直轄鉱山として栄えました。
旧神子畑選鉱場跡
神子畑は鉱山の町で、800年頃鉱山として開拓され、15世紀頃から採鉱が盛んになってきました。1919年(大正8年)からは約6km離れた隣町の大屋の明延鉱山で産出した鉱石を選鉱するための選鉱場として東洋一の規模で建設されました。明延鉱山が閉山する昭和62年まで栄えました。