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産業遺産をめぐる

ページID:0001142 更新日:2023年1月6日更新 印刷ページ表示

「鉱石の道」の歴史をたどる

 産業遺産をめぐるの画像2産業遺産をめぐるの画像1
生野(朝来市)、神子畑(朝来市)、明延(大屋町)の3鉱山は一体的に事業運営されてきた鉱山で、3地域はこの鉱山産業によってまちが形成されてきた地域です。古くから鉱山によって栄えた生野、神子畑。
 明治以降は、明延(養父市)-神子畑-生野が鉱石を運ぶ道(鉱石の道)で結ばれ、国内のスズや銅の主力産地として日本の近代産業を支えました。
 華やかに栄えた鉱山町の面影が至るところに残っています。

鉱石の道

明延鉱山で採掘・破砕されたスズ等の鉱石は、明神鉄道(1円電車)で神子畑選鉱場へ運ばれて選鉱・製錬され、さらに鉱石輸送軌道で生野製錬所に運ばれて、高純度のインゴットとなって出荷されました。鉱石や従業員を運んだインクライン、神子畑と羽渕の鋳鉄橋や鉱山道路などは、日本の近代化を支えてきた産業遺産として貴重なものであり、平成19年度にはこれらの産業遺産群が国の「近代化産業遺産群33ストーリー」の一つとして認定されました。朝来市では明延・神子畑・生野の産業遺産をめぐるルートを「鉱石の道」と命名、構築物の保護・整備のほか景観整備、モデルツアーの実施など、産業遺産ツーリズムの実現に向け取り組んでいます。

鉱石の道の画像

播但線

​鉄道建設要望の高まりに応じて明治26年に有志により播但鉄道株式会社が設立され、明治39年(1906)に全線が開通。平成18年(2006年)に100周年を迎えました。

播但線播但線100周年

​​馬車道

神子畑鉱山・選鉱場-生野精錬所間 当時の馬車道の様子

神子畑-生野間の馬車道(鉱山道路)
ムーセ旧居と馬車馬車道
当時のムーセ旧居と馬車。この時は軌道があります。

明延鉱山→神子畑選鉱場→生野精錬所→
姫路飾磨港→香川県直島・大阪へ

生野間の馬車道
設期間 明治19年から明治20年まで(2年間)
延長(地図参照) 16.244Km
幅員 3.6m
建設費用 4万円

馬車道の様子と移り変わり

 神子畑-生野間の馬車道は、延長四里四丁五十五間、幅員2間で、神子畑川右岸を下り、神子畑鋳鉄橋で左岸にわたり、少し下流で再び右岸に戻り川に沿って平野・土肥地区を経て羽渕のステンション(ステーションの意)と呼ばれた鉱石積替所(現在の山口小学校西側交差点付近)に至る。
ここで生野行きに積み替えられるが、その理由は、神子畑で鉱石を等級別に約八貫目(30Kg)入りのカマス詰めとし運搬してきたものを、馬車一台に約二百貫目(750Kg)、カマス換算で25袋となるように再積み替えをするためである。
 また、神子畑・羽渕間は下り坂のため、運搬も容易であったが、羽渕から生野までは、逆に上り坂となり、馬車の積載量を減らさねばならなかったことと、神子畑-生野間は距離が長いため、馬を交代させる必要が有り、羽渕に中継所を兼ねたステンションを設置する必要があった。
羽渕ステンションからの馬車道は、方向を南に替え、すぐの田路川に架けられた羽渕鋳鉄橋をわたり、元津、岩津地区の西側を円山川に沿って南に進む。
 生野町円山の南端の金木鋳鉄橋で円山川の右岸に渡り、小田和地区の東側を通って田和坂峠を越し、生野の町に入る。
 町内では生野警察署の前を通り、御領所交差点で、姫路飾磨港からの馬車道と合流し、本町通りから生野鉱山の精錬工場に至る経路である。
 生野で、明治9年に鉱石運搬等の重要産業道路として整備された生野-姫路飾磨港間の生野鉱山寮馬車道(生野銀山道)につながっており、当時、鉱山を中心とした産業上の輸送道路としての大きな役割があったことが伺い知れる。
 当初は、牛車と手引車が用いられていたが、後には馬車となった。その後、明治22年には鉱山の操業状態全般の調査がなされ、鉱石1t当りの運搬単価を下げるため明治24年にレールを敷設し、馬車軌道への改良工事がなされた。併せて田和坂にトンネルが掘られた。
 この後、明治33年に開発された明延鉱山の鉱石もこの馬車道を使って運搬された。しかし、大正11年に香川県直島に三菱の銅精錬所が新設されたことにより、生野鉱山の銅精錬工場は閉鎖され、神子畑鉱山、明延鉱山の鉱石は、生野まで運搬されることがなくなり、新設された羽渕-新井間の馬車軌道により、播但線新井駅から鉄道貨車で飾磨港まで運搬されることに変更された。
 これに伴い、羽渕-生野間の馬車軌道は廃止され、レールも撤去され、生野までの39年間の鉱石運搬の役割を終えた。
 この後、昭和32年11月には、鉱石の運搬はトラック輸送にとって替わり、神子畑-新井間の鉱山道路(旧馬車道、軌道)も廃止され、最終的に74年間続いた鉱石運搬の役割を終えた。

神子畑鉱山・選鉱場-生野精錬所間の馬車道(鉱山道路)と五つの橋(鋳鉄橋)

 鉱山道路・馬車道には、五つの鋳鉄製の橋が架けられました。

先立って、明治9年に建設された生野-姫路飾磨港間の生野鉱山寮馬車道に架かる橋は、ほとんどが木橋であったことから、神子畑鉱山の発展を予想してか、気候、地形厳しいこの地域において長期間の使用に耐えるようにか、また、橋の材料としての鋳鉄の適否についてその試験を行ったものではないか等の推察も出来ますが、いずれもその域を越えません。
 いずれにしても、山深いこの地域に五つもの近代的な鋳鉄製の橋が建設されたことは明治政府の力の入れようが伺い知れるところであり、特質すべき事実であり、また貴重な存在の建造物群です。

馬車道五橋と運搬ルート

(神子畑-生野間馬車道 絵図 「神子畑鋳鉄橋調査報告書」東京大学生産技術研究所編より一部抜粋)馬車道五橋と運搬ルート2
 鉱山の経過(年表) [PDFファイル/75KB]

日本遺産ガイドマニュアル(平成30年3月制作)

 「播但貫く、銀の馬車道 鉱石の道」日本遺産ガイドマニュアル2017[PDFファイル/3.76MB]

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