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友好都市、長崎県壱岐市との交流
長崎県壱岐市について
壱岐市(いきし)は、平成16年3月1日に郷ノ浦町、勝本町、芦辺町、石田町の4町が合併して発足しました。
壱岐市は、福岡県と対馬の中間地点で玄界灘に面しており、福岡市から北西に約80km、佐賀県北端部の東松浦半島から北北西に約20kmの位置にあります。
南北17km、東西15km、面積138.57km²の壱岐本島と、21の属島からなる全国で20番目(沖縄は除く)に大きな島です。朝来市の面積(403.06km²)と比較すると、3分の1ぐらいになります。
玄界灘の宝石箱と称される美しい島で、日本のことを記述した最古の文献である中国の歴史書「魏志倭人伝」に「一支国」として登場します。日本の黎明期から海の道の拠点として、交流・交易、国防を支えてきました。
壱岐のシンボル猿岩は、日本を代表する奇岩
高さ45mの玄武岩海蝕崖は、そっぽを向いたサルの顔にソックリ!気まぐれな自然の造形に驚かされます。壱岐島誕生の神話によると「壱岐は生きた島で流されないようにと八本の柱を立ててつないだが、その柱は折れ残り、今も岩となって残っている」。その八本の柱の一つがこの猿岩だと言われています。
壱岐のビーチは魅力的!大浜ビーチ
約300mの美しい砂浜が続き、遠浅の浜は大きな波が立ちやすいのでサーファーにも人気の高いビーチです。渚にはピンク色のサクラガイ等、約300種もの美しい貝殻が打ち寄せられます。夏休みの自由研究素材として貝殻採集する人もいらっしゃるそうです。
なぜ交流をしているの?
1738年(元文3年)、生野代官の支配下で百姓一揆「元文一揆」が起こります。この一揆の首謀者のひとりとして捕らえられたのが、和田山町野村出身の小山弥兵衛です。弥兵衛はほかの8名とともに長崎県壱岐島へ配流となります。
時は移り、小山弥兵衛の孫娘(のちの心諒尼)が、祖父の弥兵衛が健在であることを知り、弥兵衛に会うため桐葉庵(現:朝来市山東町の桐葉寺)に入り、全鏡と名を改め修行します。全鏡は師の許しを得て、壱岐島に渡り、弥兵衛の介護をしました。そして3年後、83歳で弥兵衛が亡くなると、遺骨を携えて帰郷。まもなく、円明寺(朝来市和田山町宮)の門に入り、法名を心諒と改め、水月庵(現:水月院)を再興したといわれています。
こうした縁により、壱岐市と朝来市の交流が続いています。
詳しくは
物語のあらすじ
小山弥兵衛と孫娘・心諒尼の物語のあらすじ[PDFファイル/396KB]物語のあらすじです。
壱岐市暦応寺跡にある小山弥兵衛の墓
昭和33年、旧芦辺町(現・壱岐市芦辺町)の郷土史家・堀川誠太郎さんが、芦辺町箱崎にある暦応寺跡で小山弥兵衛の墓を発見。その墓石に流人にしては異例の戒名があったことから調査に取り掛かり、新聞の全国版に広告を出すなど苦労の末に子孫を探し、関係者による墓参が実現しました。これが現在に続く交流の原点となりました。
暦応寺跡で鬼凧(おんだこ)を作り供養を続ける平尾夫妻
小山弥兵衛の墓がある暦応寺跡で、墓を守っておられる平尾明丈さんとフクヨさん。明丈さんはこの地に入る際、僧籍を得て、以来45年に渡って供養を続けています。
現在は夫婦そろって、壱岐を代表する民芸品である「鬼凧(おんだこ)」づくりに携わっておられます。
友好都市の締結
平成26年2月28日、壱岐市の合併10周年を記念して、「歴史・教育・経済パートナーシップ宣言」を両市の間で締結し、さらに平成27年6月27日には朝来市の市制施行10周年にあわせ「友好都市提携」を結びました。
お互いの市旗を手にする(壱岐市)白川博一市長と、(朝来市)多次勝昭市長。
心諒尼ゆかりの水月院
心諒尼が再興した水月庵、今は名を変えて水月院として居相諒英さんが6代目庵主をつとめ地域の皆さんからは「あんちゃん」と親しまれています。
壱岐市立箱崎小学校と朝来市立東河小学校の児童に囲まれている居相さん。
小山弥兵衛・全鏡関係文書
弥兵衛が孫娘「全鏡」との劇的な出会いを果たした頃に書かれた書簡で、弥兵衛の晩年の様子を伝える貴重な資料です。全鏡が中興した水月院のふすまの裏張りにされていました。全鏡の一生を記載した2通の孝尼心諒傳記(『西村文書』)(1865年(元治2年)正月18日、同年(慶応元年)5月8日)とあわせて、平成28年3月22日、朝来市指定有形文化財に指定されました。
【小山弥兵衛・全鏡書状(朝来市指定有形文化財)】
水月院所蔵・朝来市埋蔵文化財センター寄託
全鏡と対面した弥兵衛が、1789年(寛政元年)9月に、息子(全鏡の父)に宛てて書いた連名の書状です。
「ひたと御親切に仰され候て 老年の拙者も全鏡までも 大悦に存じ奉り候、万事の義、全く御気遣い成られまじく候(たいへん御親切におっしゃっていただいて 年老いた私も全鏡までも たいへんよろこんでいます。万事の事は、全く御気遣いされることはありません)」と配流から約50年後に劇的な出会いを果たした二人の喜びが伝わってきます。
【全鏡書状(朝来市指定有形文化財)】
水月院所蔵・朝来市埋蔵文化財センター寄託
故郷に戻った全鏡が1789年(寛政元年)12月に、弥兵衛に宛てた書いた書状では、「来陽帰国仕候、…め出度貴顔得奉候(来春にはそちらに帰ります。…めでたくお目にかかりたいものです。)」と再会を心待ちにする様子がうかがえます。
【心諒尼頂相(ちんぞう)】
水月院所蔵・朝来市埋蔵文化財センター寄託
江戸末期に描かれた心諒尼の頂相。
*頂相(ちんぞう/ちんそう)とは禅僧の肖像画のこと
交流のあしあと
壱岐市民劇団「一支国座」公演を開催!
平成27年8月9日、和田山ジュピターホールで、「小山弥兵衛と心諒尼物語 BELIEVE ME―自分を信じて―」が上演されました。これは柴田東一郎さん(朝来市和田山町高瀬区)の著書「遥かなり壱岐」を、壱岐市の市民劇団「一支国座(いきこくざ)」の皆さんにより公演されたものです。脚本家としてテレビドラマ、ラジオドラマで活躍されている吉村ゆうさんが劇化・演出を担当し、女優の柴田美保子さんも声で出演されました。
小学生から68歳までの団員の皆さん17人が両市交流のきっかけとなった物語を、大勢の観客を前に好演されました。
暑くて熱い一日に
公演当日は、真夏日にもかかわらず大勢の皆さんにお越しいただきました。観客だけではなく、この公演に向けて練習を繰り返してこられた劇団員の皆さんも含めて、会場は感動に包まれました。
小山弥兵衛を演じられた、土肥正史さんは「朝来市が第二の故郷になりました」と語っておられました。
壱岐市立箱崎小学校と東河小学校との交流
壱岐市立箱崎小学校の生徒が東河小学校を訪れ、ホームステイをしながら小山弥兵衛と心諒尼の史実について学習する交流事業が平成19年から続いています。
壱岐市箱崎小歓迎交流会
平成27年10月6日から8日までの間、箱崎小学校の5年生10人と職員3人の計13人が来訪されました。東河小学校の5年生18人と一緒に小山弥兵衛や心諒尼の墓、弥兵衛が壱岐で育て心諒尼が苗を持ち帰ったとされる法宝寺のクスノキなどを見て回りました。
歓迎交流会では、箱崎小学校の生徒がプロジェクターを使って壱岐島の紹介をし、東河小学校の生徒は伝統の青龍太鼓を披露しました。
但馬食文化まつりでマグロの解体ショーを披露
平成27年10月24・25日の2日間、和田山中央文化公園で「但馬食文化まつり2015」が開催されました。壱岐市からも平成15年から出店していただいています。25日には壱岐マグロの解体ショーが行われ、さばかれたマグロは「焼きマグロ」として販売されました。
壱岐のマグロ
物産交流実行委員会の会長が自ら包丁を握って、豪快で手際よくマグロをさばいていかれます。「焼きマグロ」の販売には例年長蛇の列ができます!
壱岐市虹いろ商工祭に朝来市ブースを出店
平成27年11月15日、長崎県壱岐市で開催された「虹いろ商工祭2015」に朝来市からの訪問団が参加しました。「虹いろ商工祭」は、壱岐市商工会がこれまで旧町ごとに開催していた商工祭を統合し、規模を拡大して行われました。朝来市の訪問団は「あしべ商工・産業まつり」のころから毎年参加しています。今回は45人が訪問し東河の農産物や朝来市の特産品を販売したほか、さんさん会-和-の皆さんによる、よさこい踊りも披露されました。
東河地域の農産物・朝来市の特産品を販売
壱岐市民劇団から、かわいらしい助っ人が登場。朝来市ブースの看板娘になってくれました。
さんさん会―和―の皆さんが新曲を披露
当日は、新曲を含む3曲を踊られました。威勢の良い祭囃子と元気いっぱいの踊りで会場は祭りムードに包まれます。定番の「朝来元気!」ではイベント参加者も踊りの輪に入り、大いに盛り上がりました。
道の駅但馬のまほろばに常設壱岐ブースを出店
平成27年12月7日、道の駅但馬のまほろばに壱岐物産の常設ブースが登場しました。
壱岐伝統の「鬼凧(おんだこ)」がお出迎え
待望の壱岐コーナーがいよいよ開設しました。麦焼酎や海産物、全部で41品目が販売されています。天井に設置された大凧は、もちろん平尾さん御夫婦が製作されたものです。
壱岐市商工会長 吉田 寛 様がお越しになり、ご挨拶をいただきました。