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歴史の町、生野は千余年の間に数多くの史実を残しながら、栄枯盛衰を重ねて来ました。銀山の発見以来、中国山脈の山並みに囲まれた小さな集落は「生野を制する者は天下を制する」の諺の通り、その時代時代の為政者(山名・織田・豊臣・徳川)から庶民に至るまでが熱い眼差しで生野に注目しました。そして、長い年月の間には生野を舞台として多くのドラマが繰り広げられました。
文久3年(1863)10月、日本の歴史に残る事件がこの地で起こりました。「生野義挙」または「生野の変」と言われる事変です。この事変は270年続いた徳川幕府の政治に不満を抱き、改革を図ると共に、欧米諸国の脅威から国を守ることを志す人々が、但馬各地の農民と一緒になってこの地方における幕府の拠点である生野代官所を占拠して挙兵をしたのが始まりです。
しかし、期待した同志の応援も到着せず、加えて内部の意思不統一と、周囲の状況が不利となったため、再起を期して3日間で破陣し生野から脱出しましたが、参加した同志並びに農民幹部の多くは途中において捕虜後、処刑されるなど生存者はごく僅かでした。
生野義挙はこのような経過で短期日の間にあっけなく終わりましたが、この事変が魁となって4年後には明治維新の政変が成功し、新しい日本の誕生となりました。
※写真は生野義挙碑(市指定文化財)
※画像は澤宣嘉卿
※画像は「妙見山陣備への図」生野義挙絵巻より
※写真は山伏岩(山口護国神社)
農兵取立ての指令は8月16日に発せられましたが、挙兵が10月でその間が短期間の為、訓練の暇がなく農兵とは名ばかりでありました。
二千人にも及ぶ農兵の殆どは、村役人の命ずるまま集まってきたに過ぎず、挙兵の目的を理解し、勤皇の為に「不惜身命」の精神を持って自発的に参加したものは少なかったのです。
10月9日飾磨港に上陸し、大和天誅組の破陣を知ってから平野国臣は挙兵を中止して、時勢を待ってからの再挙を説きましたが、南八郎等は主戦論に固執して幹部の意見が対立しました。かくて最後まで対立は解消せず、一般の士気高揚の大きな障害になりました。
京阪地方の同志を始め、在阪の長州藩士、因州の鳥取藩士にも密かに款を通じ義挙の際には応援の内約があったと伝えられましたが、実際には応援は皆無でありました。
代官は出張の為不在でありましたが、元締め(家老)武井庄三郎は、志士一行に対して穏便な計らいを行い、銀山を戦禍から救うと共に、幕吏としていち早く密使を隣藩に派する等、機宣の処置と胆度は破陣を早める原因となりました。
生野義挙については、これまでも50年、100年、130年と、その節目には、さまざまな記念事業が開催されてきましたが、平成25年は150年の記念の年となり、朝来市として初めて迎える節目の年となりました。
今回150年をひとつの契機として、朝来市で起った新しい時代の魁となった歴史的史実を再顕彰し、市民の認識を深めながら、後世にその事蹟をつないでいくとともに、150年の記念事業を通じ、市内全域に存在する歴史文化遺産を活用して、市民のつながりを深め、新しいまちづくりにつなげていくことを目的に、「朝来市生野義挙150年記念事業検討委員会(森下恒夫委員長以下10名)」からの提案書を基に、さまざまな事業を展開しました。
生野義挙150年記念事業提案書[PDFファイル/361KB]
平成25年11月23日(土曜日・祝日)に、生野義挙150年記念事業のシンボリック行事である、記念式典を開催しました。
また、翌日の24日(日曜日)には、墓前祭実行委員会主催による、生野義挙150年記念墓前祭が山口護国神社で開催されました。
当日の様子は、添付ファイルを御覧ください。
生野義挙150年記念式典チラシ [PDFファイル/3.82MB]
生野書院では、市内に残る関連史料や市外からの借用史料などの展示を行い、生野義挙を理解する特別展を開催したほか、特別講座(全3回)も実施しました。
生野書院へはこちら(別ウインドウで開く)<外部リンク>
市内で活動する吟道各流派があい寄り「朝来市吟詠協会」を設立して、これまで隔年で親睦吟詠大会を開催してまいりましたが、生野義挙150年を記念し、朝来市文化協会・朝来市吟詠協会の主催で朝来市親睦吟詠大会が開催されました。
生野義挙にちなんだ吟詠も数多く詠われ、盛況のうちに終了。詩吟の魅力や生野義挙を広く知っていただく良い機会となりました。
日時 平成25年9月22日(日曜日)9時30分から
場所 朝来市生野マインホール
※画像は市内に配布された朝来市親睦吟詠大会のチラシ
生野義挙150年を機に映像DVDを作成しました。
「生野義挙」の真相を紐解く貴重な1本。
「夜明けを信じた志士(おとこ)たち」
価格:1,000円(税込)
※大好評につき残数僅かとなります。
生野義挙に関するオリジナルグッズ・キャラクターを制作し、式典やイベント、周知に活用しました。
また、平成25年11月23日(土曜日・祝日)の記念式典参加者には、南八郎が長州の先輩来島又兵衛の歌を借りて制札に書きなぐった句を扇子にし、記念品としてお渡ししました。
[議論より実を行へなまけ武士国の大事を余所に見る馬鹿]
※画像は朝来市観光情報センターの義挙コーナー
(JR生野駅構内)
生野義挙をより多くの市民に知っていただくために、広報「あさご」10月号に特集を組み、1月号には11月に開催した式典、墓前祭の様子を掲載しました。
また、関係団体との連携を深めていく中で、11月23日(土曜日・祝日)の記念式典時には、山口県萩博物館特別学芸員の一坂太郎氏にご講演をいただきました。同日、奈良県五條市「維新の魁・天誅組」保存伝承・顕彰推進協議会特別理事の舟久保 藍氏にも天誅組の紹介(天誅組と生野の変)をしていただきました。
今回の150年を機に、今後も関係団体との連携を強化していきます。
生野義挙特集(広報10月号)[PDFファイル/17.12MB]
平成25年11月24日(日曜日)に開催した、史跡めぐりツアーで訪れた場所をはじめ、市内や近隣市町の生野義挙ゆかりの地を紹介します。