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赤淵神社は、枚田内高山のふもとに鎮座する式内社。
式内社とは、延喜5年(927)にまとめられた延喜式神名帳に記載された神社のことで、市内には9社ある。
赤淵神社の祭神は、大海龍王神、赤淵足尼神、表米宿彌神の三神で、赤淵足尼命は表米宿彌命の祖神である。
神社略記によると大化元年(645)、表米宿彌命が、丹後 白糸の浜に来襲した新羅の賊を討伐した際、沈没しかけた船が、海中から浮かび上がった無数のアワビに助けられたため、そのアワビを持ち帰り、赤淵神社に祭ったとされている。
大海龍王は海神で、アワビを使い難を救う神であると伝わり、表米宿禰命の子孫である日下部氏の一族の中には、現在もアワビを食べない風習が残っているといわれている。
室町時代初期に建てられたもので三間社流造、こけら葺、桁行4.8m、梁間3.1m正面と両側面に高欄付縁をめぐらせている。
身舎内部は内陣と外陣に分かれ、正面に格子をはめ、中央には階段を設けている。改修のあとはあるが、蟇股、懸魚、妻窓などに当時の建築様式を残している。
かつて赤淵神社の神宮寺であった旧神淵寺の山門であったもの。創建年は不詳。
現在の門は、文政13年(1830)に多数の喜捨によって再建されたものである。
威風堂々としたたたずまいで、随所に丹波柏原の彫刻師 中井権次による見事な彫刻が施されている。
2階には高欄を巡らせ、内部には大般若経が納められていた。
勅使が神社に参向する際に用いる門。
現在の門は、寛政11年(1799)に多数の喜捨により再建されたもの。
円形の丸柱に前後2本ずつの控柱を立てた四脚門方式で、柱材にはケヤキが使用されている。
扉の上部に見られる鳳凰の透かし彫りや、木鼻、蟇股などの見事な彫刻は、丹波柏原の彫刻師 中井丈五郎と久須善兵衛によるものである。