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国史跡の茶すり山古墳や国の重要文化財である城ノ山古墳の出土遺物等を展示して、但馬の王の変遷を辿る常設展示のほか、それぞれのテーマで特別展(年3回程度入替)を開催しています。
※現在特別展示室で開催中の展示については、Topページをご覧ください。
三世紀後半、大和には地方の指導者よりも優位にたつ「王」が誕生しました。但馬で育ちつつあった指導者は、大和の大王と手を結び、力をつけ、ここに但馬王が誕生しました。当時はまつりや儀式で地域を支配しました。
但馬王は、大和の王との関係を強めながら次第に力を伸ばしていきました。もはや、まつりや儀式によって地域を治めるだけでなく、強大な武力を背景として、力で但馬地域を治めました。
大和の王は、但馬王の持つ権力を弱めるため、その下の豪族クラスに直接のつながりを持ち出しました。豪族たちは、大和の王から与えられた権力の証として、金で装飾された武器や甲冑を身にまとい、誇示しました。
わが国にも仏教が伝わると、大和の豪族にならって但馬の豪族たちも次第に寺院を築きました。
やがて、大和から但馬を管理する人が派遣され、大和朝廷の直接の地方支配が始まるとともに、古墳時代も終わりを迎えたのです。