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「生野鉱山及び鉱山町の文化的景観」が、平成25年11月15日(金曜日)に国文化審議会の答申を受け、平成26年3月18日(火曜日)の官報告示により、国の重要文化的景観に選定されました。
兵庫県から選定されるのはこれが初めてであり、現役の鉱業都市として選定されるのは全国初となりました。
※重要文化的景観は全国で51件、近畿地方では13件選定されています。(平成29年6月5日現在)
重要文化的景観は文化財保護法で規定される文化財の一つで、平成16年(2004)に新設され、地域の人々の生活や風土によって形成された景観地で、わが国民がどのような生活または生業を営んできたかを理解するうえで欠くことのできないものとされています。
生野鉱山は、本格的な鉱山開発が進められた中世から近世にかけて、銀山として隆盛し「露天掘り跡」や「間歩」(江戸時代の坑道)といった採掘跡のほか、市川河床には当時の選鉱施設であった「汰(ゆ)り池」跡などが残ります。
明治に入ると我が国初の官営鉱山となり、近代化モデル鉱山として開発が進められ、昭和48年の閉山まで我が国有数の鉱山として機能しました。
閉山後も鉱業技術は継承され、スズの製錬やレアメタルの回収が現在も行われています。
生野鉱山とともに発展した鉱山町には、鉱山の信仰と結びついた山神社(さんじんじゃ)、寺院が多く建立する寺町、江戸時代の掛屋(かけや)、地役人、郷宿(ごうやど)などの町屋が残るほか、製錬滓をブロック状に固めたカラミ石が、民家の土台や塀、水路、擁壁など至る所に用いられ鉱山町独特の景観を形成しています。また、かつて物資の輸送路として活躍した馬車道やトロッコ道は、現在は国道・市道などとして利用されています。
生野鉱山及び鉱山町の文化的景観は、国内の多くの鉱山町が、閉山という産業の終焉と共に町が衰退し凍結されていくなかで、400年以上にわたり、採掘・製錬・運輸といった鉱業と鉱山町の発展にともない重層的に形成されてきた、今も生き続ける現役鉱山都市として、我が国における生活・生業の在り方を理解するうえで欠かすことのできない文化的景観として価値が認められたものです。
保存計画書(データ版)はこちら
生野鉱山及び鉱山町の文化的景観保存計画書 [PDFファイル/30.6MB]
生野鉱山と鉱山まちの文化的景観保存計画書概要版(抜粋)[PDFファイル/1.51MB]
「生野鉱山及び鉱山町の文化的景観」の特徴は、銀鉱脈発見を契機として近世に確立した鉱山町、またそれに続く明治期のモデル鉱山としての位置付けから鉱山町として変貌を遂げた景観です。
この鉱工業によって作り出された景観は、鉱山採掘が終了してもなお、地域の人々の手によって鉱山町独特の生活文化とともに受け継がれてきました。
この計画によって、鉱山と鉱山町が生み出した文化的景観を守り伝えていくためのルールと、将来にわたって地域の人々が鉱山町とともに住み続けていくための地域デザインを検討し、10年後の生野を描いていくことを目的としています。
整備計画書(データ版)はこちら
重要文化的景観 生野鉱山及び鉱山町の文化的景観整備計画書[PDFファイル/10.93MB]
このたび、平成29年3月に策定した「重要文化的景観生野鉱山及び鉱山町の文化的景観整備計画」の概要版として、「生野鉱山及び鉱山町の文化的景観ガイドブック」を作成しました。
生野の文化的景観の概要、価値を紹介するとともに、文化的景観を保護し、地域の営み、文化を将来へ継承していくための考え方を示しています。
重要文化的景観生野鉱山及び鉱山町の文化的景観ガイドブック